2011年3月31日木曜日

こっちこそ、ありがとう。

件名: 連絡くれてありがとう!

よかったぁ!!ほんと安心した!
 
学生の時、しーちゃんが美味しいって褒めてくれた、地元の肉団子屋・うどん屋・和菓子屋のおばちゃんが
一緒に心配してくれてたんさぁ。早速報告するね!
 
元気玉、沢山の人の温かい気持ちがいっぱいつまってて、とっても感動した!
栄大のみんなも頑張ってるんだね!
 
私の地元も南相馬市の方を受入れてるんさぁ!旅館や施設に食品納めてる私の叔母が『すぐ迎えに行ってやれ』って納品先で怒ったら、すでに準備してて、翌日にはバスで300人弱連れてきたんだって。物も燃料も足りない田舎だけど、温泉入ってご飯食べて少しでも安心して休んでほしいって。
 
しーちゃんのメール見て、私ももっと出来ること探そうって思いが一層強くなった。ありがとうね!

いえいえ、こちらこそ。
なんでそんなにみんないい人ばっかりなんだろ・・・。
会ったこともないのに、心配してくれる優しい人たち。
「すぐ迎えにいってやれ」って・・・。

今までの人生、地域の人たちと共に生きて来た、そんな彼女がとても素敵だと思う。
素直で、真っ直ぐで、明るくて・・・。
彼女のメールはいつも、画面の文字が、彼女の声になり、聴こえるような気がしちゃう。

本当にありがとう!!

会津、元気!

会津に行って来ました。
会津は今話題の福島県の左側!!



















原発は右!
で、改めて地図を見て思ったのですが・・・
福島って、大きいのです。
日本で、3番目に大きいのです。
(1番は北海道、2番は岩手)
何が言いたいのかというと・・・
全部ひっくるめて、福島、って言わないで欲しい。
どれだけ多くの人が、その為に大変な苦労をしているか・・・。
たとえば、「東京のものが、出荷停止になる。」
その何倍もの被害を受けてる。

同じ東北人として悔しかった。
農家の方、漁師さん、皆が苦しい想いをしている。
私は、悔しかった。
でも、誰かを攻めることはできないな・・・と。
私も、つい最近まで知らなかったから。

でも、知ったからには、・・・(^v^)
それに、会津が生きているからこそ、
今回の震災の被災地、仙台や岩手の沿岸部に物資を運べる!!
有り難い。

頑張ろう福島!頑張ろう東北!

被災者へ送られるおにぎり「元気玉」。
それに書かれているメッセージが、凄く響いた。

ちょっと、苦しくなるくらい、心が動かされた。
ありがとう、会津の皆さん!!

2011年3月27日日曜日

頼まれごと

3月11日(金)
あの津波から、もう2週間が経過。
まだ2週間、という人もいると思うけれど・・・。

地元の大船渡は、今週、携帯が繋がるようになり、水も通った。
まだ、一部は繋がらないらしいけれど・・・。

母と、11日以来初の電話をした。
11日、母はたまたま仕事が休みで家にいた。
幸い、隣のホールが避難所だったので、母は祖母をひとまず避難所へ。
その後家に帰り、お風呂に水を溜め、大きなろうそく、
貴重品などを用意し、犬2匹を抱え、ホールへ戻ったそうだ。
津波警報がなり、津波がくるまでの、ほんのわずかな時間で。

正直、家まで来るとは思わなかったし、まして、近所が浸水するなんて予想外だった。
海から1つ町を超え、私たちの町まで来た。
きっと、私はもっと気楽に、とりあえず、貴重品くらい持って行こう。
それくらいだったと思う。

水やろうそく・・・それを用意するほどの頭の回転はしなかったと思う。
家族を護る。
それが、母の強さなんだと思った。


父はその日、本当ならば、津波が来る時間、陸前高田にいるはずだった。
これもたまたま、予定変更で、午前に用事を済ませ、大船渡に戻って来ていた。


高校卒業したての妹が、進学先の埼玉に引っ越しを住ませていなかったら・・・


すごいキセキ。幸運。
最悪の事態があったとしたら、
父は陸前高田で津波に遭遇、母は大船渡の海沿いの職場で津波に遭遇。
妹の進学は・・・断念・・・?

家が無事でも、家族を失っていたかもしれない。
そう思うと、本当に不思議な偶然の積み重ねに本当に感謝しかない。

今、父も母も、通勤に徒歩1時間。
「今日もヘリコプターが来たよ。これから、まだまだ増えるだろうからね。
 隣の学校に比べたらなんて事ないよ。」 
「大変なんて、言ってられないからね。うちは何も失っていないから。
 こんなことで大変なんて言えないよ。」
口を揃えて言う両親。

まだ、一人暮らしを始めたばかりの妹には、毎日電話をしていたらしい。

私には全くなかったのに・・・。笑

でも、それで良い。かえって、嬉しかった。
私は、1人だけど、1人じゃない。周りにたくさんの優しい人がいる。
これでも、社会人。やっと少し、役に立てたかな・・・。

 「私は、復興支援頑張るから!」
最後にそう言ったら返って来た言葉。
「よろしく頼みます」

約束、必ず守るから!!

2011年3月26日土曜日

できないんじゃなくて、「心」がないだけ。

本当に、1日や2日という短期間で何かが変わる。
そんな体験をした1週間でした。

東北関東大震災の支援。
自分一人では何も出来ない。
そう思ってしまいがちですが、本当にそうでしょうか?

今回、メールや電話でお願いをした案件。
1件は自分には持ち合わせがなかったので物を送ることはできませんでした。
けれども、私が持っている情報を誰かに伝えることで、とても大きな協力を頂くことができました。
自分だけでは、段ボールを埋め尽くすどころか、きっと何も入れられなかったと思います。
それが、5箱の段ボールに・・・。


他にも、親戚のご近所の方(お会いしたこともないのに!!)がたくさんのご協力をして下さるということも。


「今、自分が何を出来るか?」
と、きっと多くの方が考えていると思います。
「あの人は行動力あってスゴイな〜・・・」
私もそう思うことがありますし、そんな行動力のある方を尊敬しています。

でも、でも、でも。
そんな方も、きっと生まれたときから行動力があったのではないはず(と思っています。笑)。
何かのきっかけがあって、今がある。
動き出せずに後悔したり、逆に、勇気を出してやってみたら、意外とうまくいった!なんてこととか。

自分が出来ないから、じゃなく、自分が出来ないときこそ、出来るひとが支えてくれる。
それは無関心では絶対にできないことで、自分のがそこにあってこそ、
協力してくれるひとが現れるんだと思います。

出来るひとが、出来ることを
震災の支援でよく耳にする言葉です。
でも、これは本当に色々な面で共通しているんだなと・・・。


仕事もそう。
出来ない出来ない、って言っているだけじゃ、絶対に出来るようにはならない。
出来なくても、出来るようになりたい!とやっているから、出来るようになるし、
先輩や上司が支えてくれる。 

全部、心だ。
大前提に、がある。
出来るひとが、出来ることを
心があるならば、出来ることの中には、声を上げること、助けを求めること、
これも入っているんだなと・・・勝手な解釈。

広く考えたら、何もしない・出来ないことって、探すの大変かも・・・♪

2011年3月24日木曜日

つぶやき、の代弁

報道は酷いモンだょ。
コッチは本当に必死に情報を求めてたのに、大船渡の事を放送したのって、ホンノ数日。今はモハヤ高田ばっかり。 大船渡だって、瓦礫の山で自衛隊サン達のおかげでやっと道が開けて来たのに…まだ安否確認出来ない人も居るのに…捜索活動だって頑張ってる人だって居るのに…コッチの事は触れやしない。
福島の原発だって大変なのは重々承知!! まだ出荷停止受けてナイのに売れナイからって捨てられていく野菜達…。コッチに送って下さい!捨てないで!!
計画停電で『いつ電車止まるか分からないカラ困るよね』って発言しちゃったおぢさん!! 確に仕事も大切だょ!? 東京の電気がどーやって作られてるのか知らないのかい!? 今、その現場でどれだけの人が頑張ってるのか!小さい避難施設に向かって『もう少しで…皆さんの元に…』なんて軽々しく言ってるアナウンサー!! 水も電気もガスさえもなく、道路が寸断されて離れ小島状態になってるんですよ!!!!!!

って、ちょっと長めのつぶやきをもらい、
報道って何だろう?と考えた。

メディアの語源はミディアム。真ん中、媒体となるもの・・・ってところから始まってるらしい。何と何を繋ぐのか?そこに、繋ぎたいものがあるのか??

視聴率とか、関係なく、被害の大小関係なく、本当に媒体とならなければならないところに
存在しなければいけないんじゃないのかな。
ここでも「三方よし」があてはまる!
あっちとこっちをつないだら、両方がhappyになった!
・・・そして気付いたら、自分もhappyになってた!
これが一番、必要なこと。
逆をやると、happyは離れていく。


 今はまだ、聞くことしか出来ないけれど、
捨てないで!!」この一言がとても重かった。
メールの文字が本当の叫び声に聴こえた。

2011年3月19日土曜日

父の仕事

『校内を回っていた時のことです。 2人の生徒から「僕のお父さん・ お母さんを覚えていますか?」と 質問されました。キラキラと輝く瞳、真っ直ぐな視線から、素晴らしい子育てをしている教え子の顔が思い出されました。実にさわやかな笑顔でした。』

父が今年、4月から赴任した中学校でのお便りの一文。
私の母校でもある、大船渡第一中学校。
HPで初めて知ったのですが「学び舎」という通信を書いているよう。

そこで見つけたのが、文頭の文章。
正直、学校の先生、という父の仕事が嫌な時期もありました。
いなかでは尚更なのですが、小さなコミュニティ。
「○○さんの娘さん」「先生の娘さん」という見られ方をします。
先生の娘=優秀でなければならない。・・・みたいな・・・。

父の仕事姿をみたことはありませんでした。
物心ついた頃には、忙しく、土日も部活の顧問をしていたし、
自分が中学に入る頃には、
現場を離れ、教育委員会(何をするところなんだろ??)でした。

私が進学をして、地元を離れると同時に、
父も単身赴任。

休みの日には家で洗車、習字をやっていたこともありますが、あとは読書。
仕事をしている姿を本当に知りませんでした。

でも、働き始めてから解ったこと。
父が、子供の知らないところで、どれほど家族の為に働いてくれていたか。

朝は必ず、1時間前には出勤していたし、本気で向き合ってた。
一度、受験に失敗した生徒たちと、スキーに行ったことがあったな・・・。

初任で持った教え子の子供が、生徒。
これほど嬉しいことってないんだろうな・・・。
「お前と同じ先生に教えてもらったんだよ」
そんな会話ができたら、親も子供も、なんか、嬉しいと思う。

まじめで、結構潔癖な父。
どんな仕事をしているのか、文章から、なんだか伝わって来た。
ネットってスゴイな・・・。
近くにいなくても、伝わって来たよ。

ちょこちょこのぞいてみようと思います。
まだまだ、直接はなかなか、ありがとうが言えないけれど・・・。

2011年3月14日月曜日

つながれた命


まだ、信じられない。
もう、3日経つけれど、
全く実感がわかない。

本当に、津波が来たんだって、まだ実感がない。

思い出がいっぱいの場所。
地元を離れてからも、帰省する度、
真冬でも行った、高田松原。

無事との連絡が次々と届くなか、
嬉しいのと、やっぱり津波なんかなかったんじゃないかって
思うのと・・・不思議な感じ。


阪神大震災のとき、
生活に全く変化がなかったし、
当時は東京にすら来たことがなかったから、
遠い国の話のような気がしてた。

今回、本当に遠い国たちからも、
応援メッセージや、救助隊、支援がある。
ありがたい。

本当に、ありがたい。

しばらく連絡を取っていなかった友人、
「岩手出身」なんてほとんど話題にしたことのない、
仕事で出会った人達。

みんなが家族を心配して、連絡をくれた。
この世の中、あったかいと思う。
確かに、この騒ぎに悪意を持ち込む人もいるけれど、ごく一部。

本当にあったかい。
私は幸せ者。
家族がいて、あたたかい人たちに囲まれている。


今も、現地では厳しい救援活動が続いていて、
沢山の方々が、命をつないでくれている。

本当に、ありがとうございます。
まだ、先のことまで考えられないけれど、
つないでもらった命、必ず生かさなければいけないと思う。
それが最高の恩返し。

みなさん、本当にありがとうございます。